ペットの死から見えてくること。ポイント3つ
こんばんは。ユリです。
今日もこのブログに来てくださってありがとうございます。
スイミングにはまり、すっかりブログのことはご無沙汰してしまったわたしでした。。水が好きなので、川遊び的に童心に帰っていました。ごめんなさい。
我が家は子どもが二人いますが、二人とももう成人し、親から離れて別に住み、自力で暮らせるようになっています。
コロナ禍の真っただ中にあってもくじけず仕事で力を尽くしてくれています。
いつも、遠くから無事を祈ることしかできませんが、頼もしく思っています。
スマートフォンという便利なものが距離を近くしてますね。
たいていスタンプで”お疲れ様”と返ってきます。
そんな日常生活に変化があったのは、イースター前日の4月11日でした。
6年前から飼っていた猫がいて、高齢でしたが元気な子でした。
突然亡くなったのです。
今回は飼っていたペットにまつわる家族の話しをしたいと思います。
(お閑があればお付き合いください。)
1:飼い猫をめぐって家族のココロがひとつにまとまる時間が持てた
その飼い猫は地域猫と言えば、知る人もいると思いますが、公園で野良猫の里親探しをしていた方からもらい受けた猫でした。
長女も里親探しを手伝っていたので、いつの間にか自分が欲しくなり飼い主になったというストーリーです。
野良猫って群れで生活するのですが、ボス猫として群れを守っていきてきた子でした。
利口で人心を掴むのがうまい子でもありました。
ペットとの出会いも運命のようなところがあるのでしょうか?
スピリチュアルなことは得意分野ではありませんが、”こんないい猫に巡り逢えて”
といつも感謝して飽きずに眺めていました。
娘たちが夢中でかわいがったのもわかりますでしょうか?
人の言葉が理解でき、人の言葉らしきものも話してましたので(笑)
きっと自分のことを人間だと思っていた猫なのかも知れません。
この猫が家族のココロをひとつにまとめていたんだなあ・・・
そのことに気付けたのは猫が亡くなってからです。
大切に思う人や動物を通して家族って結びつくものなんだと今更ながら気づかされました。
2:愛猫に逢いたい。でも、コロナや仕事で動けないもどかしさ。
猫が逝くその日の朝から様子が変でした。
娘たちに伝えるとすぐにいきたい!!でも、県外にはいけない!仕事もあるし。
来れませんでした。状態を詳しく伝えて、見守るという親に任せて、娘たちは仕事へ散っていきました。
3:周りの人たちの愛と感謝
当日は虫の息という状態でしたので、横抱きでとにかく話しかけていました。
抱っこされているのが心地よいみたいで、目も目やにが取れない状態でしたが、耳はすばらしく飼い主の声を聴き分けていました。
話しかけるとニャーと返します。
夕方になってから息を引き取って、眠るようでした。
娘たちに連絡すると、大泣きでした。
この猫ちゃんが我が家に来て、写真が子ども達よりも多くなり、家族となっていました。
末の娘は、「辛いことがあって泣いているといつもこの子が来てくれた!!慰めてくれたよ」と言います。
言葉なんていらないのかもしれないですね。
人が寂しさを埋めるのには。温もりだけかもしれない。
もし、この先、誰かを慰めるシーンにあったら、この猫のように黙って
だだそこに居るという方法を思い出すかもしれません。
皆それぞれに、思い出を心に詰め込んで、寂しいけれど火葬をして、
地域猫ボランティア団体の方に報告すると、お手紙やお電話をいただきました。
日が満ちて、献花もいただきました。
たくさん愛されてたくさん愛したよ、そんな猫ちゃんでした。
逢えてうれしかった!そしてまた、天国で逢おうね!!
どんなときも誇り高く生きてくれて、
「ありがとう。チャックン!」
まとめ
1:飼い猫をめぐって家族の心がひとつにまとまる時間を持てた
2:愛猫に逢いたい!でも、仕事で動けないもどかしさ
3:周りの人たちの愛と感謝